今年から『日々是・美術批評』を連載することになった。以前から『C&D』誌に連載中の「戦後と美術」も35回を迎えた。戦後50年を境に始めた批評も10年経った。昨年からは地域応援誌『そう・叢』にも作家論を始めた。社会の動きも変わり、その一端である美術も変化して行く。それらを印刷物とプログに拡大して同時代性を感じていただければ幸いです。 2007年1月26日 鈴木敏春(美術批評)

■   バーチャル?リアリティ

   
12月19日金曜日、あいち国際芸術祭振興室へ企画応募の件で打ち合わせ。12月20日土曜日、犬山の三頭谷鷹史さんより電話あり、豊川市桜ヶ丘ミュージアムで開催中の「星野眞吾展」に来ると言うので、ミュージアムまで案内。会場で犬山の作家・加藤大博さんにも偶然会う。大博さんは「星野眞吾の初期の作品から晩年のリアリズムの作品まで中々見れない作品が多く来て良かった」と言われた。企画は良かったが、入場者が少なく大変だとの美術館側の話。午後3時、逆に犬山の「アートフェチ」へ向う。映像展「バーチャル?リアリティ」を見る。これは田中由紀子さんの企画で永下山由香、水野勝規、平川祐樹さんの3人による映像展。写真は水野勝規さんのものだが、動画であり見えずらく申し訳ない。映像は回想法的な手法でイメージされ、田中さんの解説もあり作家の制作プロセスもわかり易く伺えた。
掲載日 : 2009/01/04

■   辻勇二さん取材他

   
12月8日月曜日、小牧市市民産業部生活交流課。午後、愛知県社会福祉協議会、「ライフレヴューアート」の資料届ける。12月9日火曜日C&D誌の「団塊美術論6」原稿書き。12月10日水曜日、午後6時より理事会。理事5名、委任状2通。来年度の活動について打ち合わせ。12月11日木曜日、午前中、小牧の桃花林で源安孝さんの紙版画作品の展示を行なう。午後1時〜4時名古屋造形芸術短大のビジュアルデザインの卒業制作の授業。12月12日金曜日、午後、授業。夕方、午後7時より豊橋市で「そう」の編集委員会。12月15日月曜日、C&D誌の「団塊美術論6」入稿。12月16日火曜日、あいち国際芸術祭振興室へ企画応募の件で伺う。午後7時会議。12月17日水曜日、午後1時豊橋市役所13階のレストランで辻勇二さんをカメラマンと共に取材。お母さんと中根先生同伴して頂く。辻さんはこちらの話も良くわかり、展望室からの眺めが好きそうで、カメラ目線よりも地上目線に関心が高い。辻勇二さんは1977年に豊橋市の岩田に生まれた。愛知県立豊川擁護学校高等部を卒業後、豊橋市の「福祉村」にある障害福祉サービス事業所「明日香」に通う。「明日香」は、福祉村の中にある施設で、障害を有する人達が作業や様々な活動を通しての社会参加を目標に、支援活動を展開している。辻さんは子供の頃から絵の才能に恵まれ、小学校の頃から続く絵日記には、彼の平穏な日常の記録が綴られている。楽しい旅の記憶、車窓から眺める町並み、旅先の東京タワーから展望した風景など。絵日記には今も楽しい思い出が描かれる。軒を連ねて並ぶ民家の屋根瓦は彼の一番好きな風景である。インタビューを行った豊橋市役所の最上階にあるレストランでも、眼下に流れる豊川と血液の如く流れる国道一号線をじっと眺めていた。1999年、豊橋の老舗画廊喫茶「フォルム」での個展を皮切りに、発表活動を開始する。様々な美術展での入選や受賞を経て、2005年のアウトサイダーアート展「描かずにはいられない」(高浜かわら美術館)でアーティストとして注目を集めた。昨年開催され、NHKの新日曜美術館で取り上げられ話題となった「アールブリット/交差する魂」展でも活躍するアウトサイダーア―チストである。作品を3点借り受け、撮影のため「そう」編集部へ届ける。
掲載日 : 2009/01/04

■   天白川展に搬入

   
12月6日土曜日、「天白川展」の会場、地下鉄原駅ギャラリーへ行く。「天白川展」は会員の滝川裕康さんらが災害をテーマに開催。今回で4回目になる。1月6日〜8日までは名古屋市南図書館で展示。1月14日(水)〜18日(日)まで日進市にぎわい交流館で展示される。11月に滝川さんから出品者が少ないのでと紹介を頼まれたが、予想を超える集まり。こちらも忙しく自ら作品を作り参加。「回想法アート」の紹介を行なう。父の思い出をミュージアムボックスに再現。1972年に豊橋港の竣設工事中に発見された旧海軍の98式艦上攻撃機。父は埋め立て工事の船で日本中を回っていた。各地の港で、戦争の遺物・遺品に出会った話をしていた。
掲載日 : 2009/01/04

■   明日香へ行く。ほか

   
12月2日火曜日、加藤猛さんと愛知県立芸術大学へ行く。洋画科の久保田裕教授に会う。「ライフレヴューアート」の活動紹介。大学院で行なうと良いとのアドバイス。猛さんの元職場である関係から事務局へ挨拶。猛さんにとっては移動で戻られた方や「懐かしい顔がいっぱい」とのこと。開校以来という教室やアトリエは傷みがひどく、久保田さんに寄ると建物の建て直しが決まっているとのことであった。12月3日水曜日、豊川市桜ヶ丘ミュージアムの森田学芸員と一緒に豊橋市の「福祉村」にある障害者施設「明日香」に辻勇二さんを訪ねる。辻さんのお母さんと施設で美術を教える中根昌子さんに会う。辻さんは『アール・ブリュツト』にも作家とし活躍。来年の11月に開催される桜ヶ丘ミュージアムでの「境界なきアート展」に出品をお願いした。右の写真は、同じ施設に通う、まさのりさんの魚のペン画。中根さんの話では辻さんとふたりが天才画家だそうである。また地域応援誌「そう」のアート点描にも取材がきまった。福祉村は豊橋技術科学大学の裏側にある。まわりを野菜畑が囲む土地で12月であるのに暖かい。
掲載日 : 2008/12/31

■   『碧南の空と大地の間展』ほか

   
11月30日日曜日、午前中に小牧の桃花林へ行く。学生たちの「ライフレヴューアート展」開催中。愛知県社会福祉協議会の丹羽正雄さんご夫妻、加藤猛さん、林貞次さんら会員の方々見に来る。施設の入居者の松本さんの作品を見せて頂く。午後4時、碧南市藤井達吉現代美術館で開催の『碧南の空と大地の間展』(10月4日〜12月7日)を見る。
(以下団塊美術論6よりの引用)「まちを彩る彫刻たち」と題された企画展。1990年代、詩人の永島卓さんが市長に就任。彫刻のある街作りを推し進めてきた。いわゆるパブリックアートの奔りである。この地方では碧南市は文化先進市と言われてきた。これは前市長の政策の展開である。4月の市長選で美術館問題が争点になり、反美術館派が当選を果たした。市は市議会の賛同が得られないことを理由に購入予算1500万円を断念した事が新聞に報じられた。藤井達吉美術館なのに藤井の作品は一点しかない。「ぜいたく品で、市税が落ち込んでいる今は購入時期ではない」(中日新聞)と言うのが市議会の見識らしい。それでは何のために美術館を作ったのか。経済・税収の落ち込みで全てを語る悪しき見識としか思えない。
アメリカを初端として始まった世界同時経済不況は日本にも押し寄せた。これは1930年代の大恐慌を彷彿とさせる。またそのことはルーズベルト大統領によって進められたニューディール芸術政策を思い起こさせる。一般的には大規模な公共工事による雇用の創出が言われるが、目玉は人々に夢と希望を与える文化的な芸術プロジェクトの設立にあった。それは壁画制作と教育プログラムの奨励 や600名にも上る芸術家の雇用など。ニューディール政策で最初に行われた芸術プログラムは、「公共事業芸術プロジェクト(PWAP)」である。プロジェクトは六ヶ月間続き雇用プログラムとして公共建築や公園に設置する芸術作品を制作する職を与えた。芸術への支援は国民の精神を高め、アメリカ文化を育くみ、国家に新たな文化的精神を吹き込む成果をもたらすとルーズベルト大統領が考えていたことは、1941年3月ナショナル・ギャラリーの竣工式の彼の演説の中でも見ることができる。その後、芸術・文化の社会的便益についての研究に加え、芸術を享受する観客に関する分析も進む。美術館の空間の拡大=公共空間の拡大、公園や公共建築物の中に作品が展示されるようになって行く。
碧南市の野外彫刻、パブリックアートの実施は見慣れた風景としての エッフェル塔原理として機能してきた。それは論争防衛のためのレトリックになっていく。今回の企画展では論争の具体例として、「何が問題なのか」紹介されていないが、碧南市がこれほどの野外彫刻を集め、文化先進市としての役割りを示していた事に驚きと敬意を感じた。1960年代に至り、公共空間でのバブリックなア―トの展示が始まる。それはかつての富裕な財閥のパトロンではなく、中産階級の市民の登場だった。この事を表す象徴的な事件としてリチャード・セラの『傾いた弧』撤去事件が上げられる。1981年、ニューヨークのマンハッタンの連邦ビル前広場に、巨大な錆びた鉄板を弓形にそらせた『傾いた弧』が設置された。ところが、ビルに働く人々のあいだから、景観の邪魔になる、それに、もし倒れでもしたら危険この上ない、と抗議の声が起こり、結局、作品は八年後に取り払われた。この作品の登場は様々な議論を呼び、作品は撤去されたものの都市空間の様々な問題を提起した。「公共」という考え方が市民の側からの異義申し立てにより論争となる。これは市民社会の成熟度が増した証明でもある。パブリックアートの流れが大きく変わって行くことになる。議会や行政側はそのことを今だ見抜く事ができていないのではないだろうか。

掲載日 : 2008/12/31